久留島武彦と村上巧児 2人の巨人友情の足跡描く 中津市でパネル展 [大分県] – 西日本新聞

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 中津市で生涯の友となり、地元に尽くした2人の巨人がいた-。日本のアンデルセンと呼ばれる童話作家久留島武彦(1874~1960)と、九州財界の巨星とされる実業家村上巧児(1879~1963)の友情を描くパネル展「中津と玖珠をつなぐ二人の巨人のものがたり-村上巧児と久留島武彦展-」(玖珠町、久留島武彦記念館主催)が、同市蛭子町のゆめタウン中津で開かれている。入場無料、18日まで。

 村上は中津市出身。父は「中津の知恵袋」といわれ、玖珠郡長も務めた村上田長。早稲田大卒業後、大阪毎日新聞社や三越呉服店勤務を経て九州水力電気に入社。同社が買収した九州電気軌道(福岡県旧小倉市)の専務、社長として経営手腕を発揮した。その間、小倉商工会議所会頭や井筒屋社長などの要職にも就き、小倉市初の「特別功労者」として表彰された。1942年には私鉄5社が合併した西日本鉄道(福岡市)の初代社長となった。プロ野球西鉄クリッパース(後の西鉄ライオンズ)の生みの親としても知られる。

 久留島は玖珠町出身。1883年、同町森の大火で通っていた小学校が焼失。通学のため、母親の実家がある現在の中津市諸町に預けられ、殿町小(現南部小)に通った。近所だった村上巧児と出会い、2人は終生の友となった。

 久留島は童話を語り聞かせる「口演童話」に一生をささげた。戦前、日本のみならず朝鮮半島に渡るなど、86歳で亡くなる直前まで口演童話会を続けた。幼稚園を開園するなど幼児教育にも取り組んだ。

 久留島と村上の友情によって結実した取り組みは多岐にわたる。「子どもたちに自然の中で生きた教育を」と提唱した久留島の働きかけで、1937年、西鉄の到津遊園(現・到津の森公園、北九州市)で始まった林間学園は今も続いている。村上は私財を投じるなどして中津市に九州初の私立児童図書館「童心会館」=閉館=を建設。耶馬渓の観光地化を目指し、2千本の梅の苗を植える運動も2人の強い絆から生まれた。

 同展では、写真などを交えた13枚のパネルで、2人の足跡を解説している。久留島武彦記念館は「2人の偉大な業績を中津市民に知ってほしい」としている。

=2018/12/05付 西日本新聞朝刊=




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