生還の叔父の記憶語り継ぐ 兵庫の75歳男性 – 琉球新報 – 沖縄の新聞 … – 琉球新報

Home » 2089竹田市 » 生還の叔父の記憶語り継ぐ 兵庫の75歳男性 – 琉球新報 – 沖縄の新聞 … – 琉球新報
2089竹田市 コメントはまだありません



おじの故竹田明さんの思いを伝えたい、と語る竹田茂樹さん=兵庫県養父市大屋町で、高田房二郎撮影

 太平洋戦争末期、撃沈した旧日本海軍の戦艦大和から生還した叔父の思いを語り継ぐ男性がいる。兵庫県養父(やぶ)市に住む竹田茂樹さん(75)。叔父は生きて帰った負い目から記憶を長く封印したが、晩年になり証言を始め、5年前に他界。竹田さんはその遺志を継ぎ、叔父の自宅に「おじの大和ミュージアム」を開き、地域で平和の大切さを伝え続けている。7日で大和が沈んで73年。

 叔父は、2013年に89歳で亡くなった竹田明さん。明さんは、京都の呉服店で奉公していた1943年、三つ違いの兄・隆さんを追って海軍に志願、隆さんと兄弟で大和に乗ることになった。

 大和は41年に就役し、全長263メートルで戦艦としては当時、世界最大級。45年4月、米軍が上陸した沖縄へ向かう水上特攻作戦で出撃したが、米軍の猛攻で撃沈した。乗員約3300人のうち生存者は276人で、隆さんも命を落とした。

 敵機を迎え撃つ高角砲に指示を出す発令所にいた明さんは、大けがをして海に投げ出されたが、僚艦に救助された。46年に養父市に帰郷し、会社勤めや農業をしたが、親族にもほとんど戦争の話はしなかった。

 転機は05年、「大和ミュージアム」(広島県呉市)を見学した時だった。館内で明さんは突然、興奮して体験を話し始め、同行した茂樹さんらを驚かせた。その後は新聞やテレビの取材にも応じるように。

 「米機の攻撃で甲板に死体の首や腕などが転がり、負傷者が血の海でのたうちまわっていた」

 平和学習に訪れた地域の子どもらにはこう呼びかけた。

 「国のために死ぬのが当たり前の時代があった。今は何でも自分でできる世の中、できることをせなあかんよ」

 茂樹さんは、耳が悪い明さんの取材に立ち会ううち、「戦争体験者が減る中、おじの思いを知る自分が伝えなければ」と感じるようになった。

 13年6月に明さんが他界。その2カ月後、茂樹さんは当時の写真や出征時の寄せ書き入りの旭日旗などの遺品の資料、戦艦の模型、出演した番組の映像など約100点を明さんの自宅の部屋で公開。訪れる地域の人らに大和の歴史や明さんの体験などを話している。

 政府が憲法改正に強い意欲を見せる中、これからの日本はどんな道を歩むのか。茂樹さんは「生きたくても生きられなかった時代を知る叔父なら、『話し合いで知恵を出せ、戦争だけは絶対いかん』と言うでしょう」と語る。「ミュージアム」(養父市大屋町)の問い合わせは茂樹さん(079・669・1768)。【高田房二郎】


(毎日新聞)




こんな記事もよく読まれています



LEAVE A COMMENT